眉のあたりにすずしさの残る少女みたいに/須賀敦子とその「詩集」について/渡邉建志
の/生チーズをつくる。/リヴィアは、/栗色の髪の/夕星の瞳の/リヴィアは」あたりで、再び字が少し乱れ、行が少し斜めを向く。これはなにを意味しているのだろうか。
須賀はこの詩を書くときに、興奮していたのだと思う。須賀は、ローマの学生寮の若い友人(まだ17、8だったと思う)リヴィアの故郷について、そのアマンテアという音の美しさについて、後年の作品で触れていた。アから始まりアでおわる、この丸い甘い響き。全集の年譜を見る限り、おそらく須賀は訪れていない。ただその憧れのアマンテアを、リヴィアの家を、訪れた夢について、ずいぶん後になって作品で書いた。1959年にリヴィアに会ったときに覚えたその名前に対する、
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