眉のあたりにすずしさの残る少女みたいに/須賀敦子とその「詩集」について/渡邉建志
のの下がっており、これが題名だと考えてもいいかもしれない、とふと思う。でも、行空きはないから、題名ではないのかもしれない。でも、たとえば「いひわけ」という作品では、手稿は「いひわけ」という一行目を字下げをしつつ、一連目(あるいは二行目)は「いひわけ」との間に行をあけずに始まっているから、行空きがないことだけをもってこれが題名ではないとも言えない。しかし、もしこれが題名でなければ、「アマンテアでは」という七文字は、一行目と三行目に、あまりにもすぐに繰り返されている。こんなことが、一行目が題名でなかったとして、ありえるだろうか。
私は、こうやってこの詩の題名の有無を考えながら、結論として、これは題名
[次のページ]
[グループ]
戻る 編 削 Point(2)