眉のあたりにすずしさの残る少女みたいに/須賀敦子とその「詩集」について/渡邉建志
、やはり、手稿の写真を読むときの美しさが、活字になると色褪せてしまう。冒頭、訥々と少ない言葉で行が切られ、つぶやかれている感触が、とたんに「無限」という言葉を引き連れて、そこが晝(まひる)であることを知る部分は一行が長くなる。この、まひると読ませる読みも、須賀が他に訳詩で使っていたような記憶がある。「ふたたび/すべてを/しっかりと/両手に」の、何度も波が寄せるように確かさを求めて「にぎりしめ」にいく感触が、冒頭のゆっくりさと呼応していて美しいのだが、その遅さは、末尾「大地に/うっとりと/立つ。」で、陶酔と恍惚の極みに達しているように思う。でも、ここには句点が打たれていて、溺れずに両足で、立っている
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