眉のあたりにすずしさの残る少女みたいに/須賀敦子とその「詩集」について/渡邉建志
 
詩をめぐる対話の中で育まれていったように須賀は書いている。1959年にローマで書かれたこの詩で、「ふってくる」を三回繰り返すのは、おそらくのちの須賀本人にも稚拙と映ったかもしれないが、きいろい枝がふってくる様子をそのまま写しとっていてその純粋さが、爽やかだ、と私は思う。それに、「ふってくる」という言葉には、須賀が後年の作品や対談でもずっと愛用した促音あるいは促音便への愛着も見られる。須賀の促音の独特の使用は、後年のエッセイにリズムを、そしてユーモアを与えることになったものだ。「むね一ぱいに」というひらがなと漢字の選択、そしてまた促音も、その幼さが魅力的で、須賀の言葉を借りると「まだ眉のあたりにすず
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