言葉と詩についてのメモ/道草次郎
 
非常に際どい問題だ、と思う。知的能力の限界が倫理的世界へ侵犯することを許せないという直感をもとに展開される詩は、論理的でないだろうか。しかし、論理的とは何か。それはおそらく論理に内在する破綻的とも言えるゼロ・ポイントに自覚的である場合、はじめて何らかの意味を成す何かではないか。

ところで、こうやって何も書かれていない真っ白な画面に何かの言葉を書きつけていくと、心の穴が埋められていくように感じる。こういうのも、言葉の働きの一つだろうか。とにかく、言葉というものは大変なものだと、そればかりは心から確かに思うのを否定できない。そう言わせているのも言葉の魔力に違いないのだろうが、それはそれで悪くもな
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