11月1日所感(つれづれ)/道草次郎
 
物なのだろうが、それは反面では、人工物に対するぼくの態度がおそらく普通の人はより厭世に偏っている事を物語っているのだ。

ところでぼくは仏教に帰依はしていないが、仏陀や禅の考えには共感するところがかなり多い。だから、平気で何時間も仏壇の前で南無阿弥陀仏と唱えるし、勝手にどこかの寺で座禅をした事もある。でも、それがぼくにとってなんなのかは定かではない。尤も南無阿弥陀仏というものが自分にとって何なのかを諒解してそれを唱えるのは、念仏の本然に背くように思われるが。不勉強で親鸞の著作は殆ど読んでいないのだが、『歎異抄』が読めれば自分などは十分なような気がする。親鸞に関しては、「地獄は一定すみかぞかし」
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