11月1日所感(つれづれ)/道草次郎
のだろうか。
ぼくはあるものを持ち、それを養いそれへ賭し、ついに、それ失くした。喪失は終わっていない。終わりようがないのである。
日々はまるで月の砂漠の駱駝のようだ。労責と浪漫とが混在し、堕する翼の音が至る所に谺している。それを朝の枕の千里向こうに聴くばかりの日常だ。
夕焼けに燃えるドウダンツツジの発狂に息を飲むものの、ほんとうのぼくは所詮、無反応なコンクリートに過ぎないのはわかり切っている。
ベートーヴェンもゴーギャンもピカソでさえも、気に入らなくて、三日前には現代詩手帖をナタで斬りさいてやった。もちろん快哉をあげた。このようなものだぼくは。ぼくというものはすでにぼくの残
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