11月1日所感(つれづれ)/道草次郎
のをやめ、行き帰りに正法眼蔵を聴き、視力をおとし、皮下脂肪を魯鈍にたくわえ、彷徨い、飽き、詩に揺蕩うふりをしてはあらゆる平和なものを穢している気がする。
もう、図書館では赤の本、青の本、黄色の本のこの三冊の絵本で借りおさめ…本とは当分さよならだ、と思ってはいるがどうなることやら自信もない。頭蓋の中で夕焼けの様な来し方が燃え滾っているようだ。
ぼくはかつてあのたくさんの目をみはる詩や美しい音楽の影を闇雲に索したし、追いかけたし、縋ったし、袖にされもした。
今は、何もかも消えてしまった。これは感傷だろうか。殊更に勿体ぶっては変に卑屈になる、そうした蒼白い息のナルシスの表明に過ぎぬのだ
[次のページ]
戻る 編 削 Point(0)