11月1日所感(つれづれ)/道草次郎
 
という言葉についてだが思うことを勝手気ままに一つ。先日帰りの車中で柳田國男の『日本の昔話』の朗読を聴いていたのだが、その序文で柳田は子供たちに向けて自分がどうしてこの本を編んだかをじつに明朗に語っていた。それを聴いた時ぼくは、ああこういうのが本物の学者なのだなと感心した。つまり本物とは、子供に面と向かって堂々と自分のした事を語ることができる、という意味でもあるのだ。

話は変わるが、だれかの憎しみを想像することはその憎しみをともに憎しみ、その憎しみをともに溶かす行為なのだと今さらながらに気付く。ともに泣くこと、それが想像することなのだ。これは大袈裟な話ではない。そうするより他にしようがないばか
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