11月1日所感(つれづれ)/道草次郎
 
ばかりか、それだけが自然に背かない心の働きでもあるという常識が心の台座には凝然と建っている。あまりにも鈍麻な自分は感じる心を忘れ、理に走り空しい道をさまよってきた。ぼくはこれから立ち直れるのか、感じる心を取り戻していけるのか、そればかりがぼくにとっては一大事のようで、他のことはほとんど無いに等しく今は思われる。しかし、こうした心の働きすらも移り変わるもの、じつは無常なものである。無常を体得することは、これまた逆説だが常住なるものを究めなければならない。その究めの矛先を何に措定するかは人の勝手だが、僕の場合は、感じる心を正確に把握する感覚を取り戻すことに尽きるように思われる。こういうことを書くと随分
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