11月1日所感(つれづれ)/道草次郎
とができない。こんな自分は頭が悪いのだろうかと、時々、不安になる。結局は本物とは何かということに尽きるだろうか。本物とは何かと問うことをせずにはいられない。これが、自分の本音である。相対主義的なものの見方が横行する今の世にはそぐわない考えだが、本音は本音だ。相対主義とは相対主義への信仰であろう。自分の見知った限りでは、本当の信仰者とはもっとも信仰から遠い位置に自らを置くものだった。逆説的だが、信心深い者ほど徹底した懐疑主義なのだ。
本物という言葉を、その定義で以て分析して掛かるのは一番つまらない術である。そういうものに人間の理性を使うのは理性の浪費に相違ないと思われる。
ちなみに、本物とい
[次のページ]
戻る 編 削 Point(0)