散文三つばかり/道草次郎
 
永らく囲われている。審美家を殊にさげすむ者が、審美家に一番近接だという逆説だ。自分の立ち位置を知るのは自分一人では無理だとやがて思うのが自然の道理で、自己批判の慰めはいったん置いて野に出るのは必定。

自己の限界を知り、こころを野に飛散させてみる。野に出てみれば、自分のかんがえがいかに偏っていたかが知られ、呆然と立ち尽くすのみとなりもう一言も発することは出来ないと思い定めたりもする。

けれども何事も経験とおもい、というか面食らったからどうにかなるというのでもないので、また少しずつ歩き始める。

小説を書くことをする人は、移ろう自分の影を物語のベールに包む。しかし物語の視点はなにか。そ
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