北村太郎(その詩と死)/岡部淳太郎
 
て銭湯へ
気になって
門に振りむく
生は死の病かな?
なまめかしいだけの木立ちがある

(「墓地の門」最終連)}

 それにしても、北村太郎の詩には何と多くの死が描かれていることだろうと思う。ここに引いたのは、前者は一九七八年の「あかつき闇」から、後者は一九八二年の「犬の時代」からだが、敗戦直後の最初期の詩と変らず、死を語りつづけているのには驚かされる。この詩人は死にとりつかれていたのではないかと思えるが、そのとりつかれかたも、激しく病的なものではなく、薄暗い諦念の中でぼそぼそとつぶやかれているという印象を受ける。年譜を見ると、家族の死があったり、自らも大病に罹ったりと、いやでも死
[次のページ]
戻る   Point(12)