庭の話など/道草次郎
 
事実であるか否かは、何というか、あまり重要ではない気がする。白いものが青白く見えてくるというのが、父の捉えどころのない濁しとともに脳裏に立ち昇って来る時、ある種の真相を自分がそこに見てしまう事の方が肝心である気がする。或いは、父は自分が記憶したようには言わなかったのかも知れない。しかし、記憶のそういう不確かさも織り込み済みで立ち現れて来るものこそ、もしかしたら本物の記憶なのかも知れない、そんな事をつらつらと考えたりする。

 父に似てきたと言ったら父はたぶん笑うだろう、お前などまだまだと言いたげに。最近どうにかやっと植物を愛でる気持ちが分かってきた、ような気がするという話である。心が惑ってわな
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