9月30日雑記/道草次郎
か、など考えたりもするが勿論未来も当然ながら無いわけで、ないものにあるというのはどだいオカシナ話だ。今は喩えるなら、それは、ヌルリと掴み手を逃れる鰻だろうか。手に残る生臭さでやっとそれと分かった気になる何かだろうか。じつに妖しい代物ではないか。
こういう事情を抱えながら生きていくということは、一体、どういう事かと思う。ところが、野に出てみれば芒は銀に波打ち野鳥は盛んに空を舞っている。ムクドリのギャーという耳障りな声もする。どうもこれを狂っていないというのは、やはり狂っているに相違ない。それほどのいきさつを、この世界は孕んでいる。このはからいは、じつに何たることだろうか。悠々閑閑、宇宙は夜になれ
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