9月30日雑記/道草次郎
に会いに行ったり、悩んでみたり不安がっているだけなのだから、別に誰かと会おうが会うまいがそれは変わらないのであり、つまり今の自分がこの自分である限りは、あまり事態は変わりそうにない。
今日は主に二つのつまらぬ事を考えていた。
一つは、誰もが「今」を生きるしかないという常識について。どういう事かというと、弥生の世でも、平安の世でも、江戸の世でも、こんにちの令和の時代においても、過去に生きる人はひとりもいないという決定的な事実のことを言っている。人には常に今ばかりが与えられいて、今に費やし今に躊躇うのみなのだ。過去はどこにあるか。杳として消えた過去は、もしかした未来にあるのではないか、
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