9月30日雑記/道草次郎
る。明瞭な単純な自己のみが確かである気がしてならないのだ。そして、そういう自己のみが他者への寛容を存分に発揮できるように思えてならない。
生きている限り、今はまだ、と言う事ができる。これは、本当に素晴らしい事だ。本当に、これだけでもう素晴らしく十全としたい所だが、そうしてしまうといかにも大きな魚を逃してしまいそうなそんな杞憂もないとは言えない。
なるほど、人間の思考はこのようにして人間を落ち込ませたり、救ったりする。つまり、コトバも同じであり、それは魔的であると同時にメシアでもある。人がコトバを獲得して以来、繰り返しくりかえし行ってきたことの突端に誰もが立っている。下には眼も眩むような大渦
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