クズの夕暮れ/道草次郎
 
語の定義についてだけであった。

ぼくは明日さえももう定かではない。まだ3ヶ月の子供がいるのに仕事を探す気にもなれず、一日中ずっと布団やソファで横になっていることを妻が知ったら、どれほど恐ろしい軽蔑の目で見られるか分からない。軽蔑が何よりおそろしいのは、それが自分の中に眠っている醜い感情を呼び起こすからだ。

朝からたびたび小椋佳の『愛燦燦』を聴いている。良い歌だ。普遍性がある。それを言ったらぼくの人生だって普遍性はあるだろう。ぼくみたいな人間がそう珍しくないことぐらい分かっている。そして人間などというものは大してそう変わらないということも。

だったらなぜ、ぼくは自分の
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