クズの夕暮れ/道草次郎
分のことを『愛燦燦』のように受け入れられないのだろうか。それはたぶん、『愛燦燦』がよくできた作品だからだ。人間が自分の人生を作品と見なしてしまったその瞬間からおそらく堕落は始まるのだ。したがって人間は現実においては自己を見る目は厳しくならざるを得ず、その反動として芸術作品に何らかの代償を求めることになるのだ。
今日も無為な一日を過ごしてしまった。そんないつもと変わり映えのしない悔恨だけが、コオロギの鳴き声に紛れて意味もなく転がっている夕暮れであった。
戻る 編 削 Point(2)