山国の車窓より 〜中央線沿線/道草次郎
つ経験したこともなく、しかし図書館へは足繁く通い、月の自転車走行距離は優に200キロを超えていたと思う。
引きこもりかニートだったかはよく分からないが、とにかくぼくは父が遺した畑の土を耕し、種を撒き、必要に応じて草を刈り、土寄せや追肥をした。そして収穫の時期にはそれなりの満足感を抱いたものだった。収穫した野菜を地元のスーパーの地場産コーナーに卸すことだけがその時のぼくが抱くことのできる野望であり、しかしそれは叶わない野望でもあった。
ぼくはある日、保健センターのコンドウさんという女の保健士さんと電話で話をした。
つまり、ぼくは何年か前からずっとこんな調子で定職にも就かず、実家の畑
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