自分史(業界誌記者時代4 ー 組合活動)/日比津 開
専門誌は僕が所属する産業機械分野は発行
部数が最も多く順調だったが、ほかの分野の
3誌は部数が伸び悩んでいた。売上高は社員
が40〜50人いるにも関わらず3〜4億円(後に
入る音楽事務所は社員約20名で20〜30億円
の売上があり、1人当たりの売上が格段に違っ
ていた)ほどで、会社経営は慢性的な自転車
操業だった。そんな中で僕は労働組合の役員
をやることになり、広報を担当することになっ
た。
一番の組合活動はやはり春闘で、賃上げ交
渉は妥結するまで何回も行った。社長は経営
手腕はなかったが、ジャーナリストとしては
大御所、大先輩で話し合いでは組合執行部の
要求に
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