自分史(業界誌記者時代4 ー 組合活動)/日比津 開
求に応じられない理由をいろいろ述べた。
僕はまだ20代前半で入社歴も浅く、団体交
渉の場に参加しても、最初の内はやりとりを
聞くだけでほとんど発言できなかった。しか
し、広報担当なので組合側の要求と経営側の
回答、団体交渉の模様を文章にまとめ、印刷
して社員に知らせた。
当時は社会全体でも労働組合の活動が衰え
る前で、組合の役員になってからは上部団体
の集会によく参加し、ほかの会社の仲間と交
流、話し合いの機会を持った。組合のレクリ
エーションではパーティーでの飲食のほかに
野球やボウリング大会が定期的に開催され、
僕は野球ではキャッチャーで4番、委員長が
ピッチャーだった。ボウリング大会では、し
ばしば優勝した(大学時代、一時ボウリング同
好会に所属していた)
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