MAR November 4 2003/カワグチタケシ
はその色を、何か手に取って感じられるものに置き換えて説明しようとする。トマトジュースのような濃い赤。あるいは、赤ピーマンのような赤。冬の夕陽のような赤。どれもしっくりおさまらないうえに、そんなにいろいろ言われたら、説明される方も混乱してしまう。だいいち、トマトジュースと赤ピーマンと夕陽は同じ色ではない。そして、人は夕陽に触れることはできない。
僕が一枚の絵の前に立つとき、その平面作品から受けとる感動の正体を知りたいと思う。すくなくとも、それは絵に関する「説明」ではなかったはず。それなのに、僕には説明することしかできない。しかも相当できそこないの。「〜について」ではなく、「〜そのもの」を語ること
[次のページ]
戻る 編 削 Point(1)