生きてきたこと:Part 2.1/由比良 倖
くなることの前兆だ、と言われることがある。フィリップ・K・ディックもそう書いていた。だとすれば「おかしいかも」と思うことと、本当におかしいことの境目は、どの辺りにあるのだろう? 僕は外面的にはまともに見えたはずだ、と思う。何か生きづらそうに見えたとは思うけれど、耐え難い苦しみに常に苛まれているとは、誰も思わなかったと思うし、そう見えないように努力していたから、病院送りにはならなかった。けれど「自分はまともなはずだ」という意識が病気の更に進んだ段階であり、本当に頭がおかしい人は、決して自分が狂っているとは言わない。だから、今現在の僕が、まさに狂っている、ということを、僕だけが知らない、ということも有
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