生きてきたこと:Part 2.1/由比良 倖
 
考えないわけではなかった。「僕が」僕自身と、他人のことを不快に思っている、ということが問題だと思った。今度はすると、不快なものをわざと見よう、と考えざるを得なかった。本当は、いい悪いとか、快不快なんて、僕の幻想なのだから、と。何に対しても鷹揚に、中立であろう、と考えた。けれど、不快なもの、例えば絵を見たり言葉を見るとやはり苦痛を感じるし、不快なものに対して慣れてくると、自分が悪趣味になるのを感じた。好き嫌いを無くせば、全て好きになれるわけじゃない。全てに対して鷹揚で中立であることは、実は鷹揚でも中立でもなく、逆に、自分の感情にさらに強いバイアスをかけていくことに他ならなかった。でも、全部嫌いであっ
[次のページ]
戻る   Point(4)