おれの(おれたちのではない)イチローだった/はだいろ
あの89年のシーズンに挫折したまま、
うつむいたまま、
いじけてひねくれたまま、世を拗ねて、恨んでいただけだったかもしれない。
イチローこそが希望だった。
圧倒的な光だった。
本当に、世界を変えたのだ。おれは、それを見た。それを生きた。
例えば・・・おれにとって、
忌野清志郎は偉大である。立川談志は偉大である。
だけども、例えば、典型的な昭和の人間であり、
巨人ファンであり、
自民党支持者であり、
巨人が負けていればテレビを消すような、男であった、
うちの父親に、
清志郎や、談志の偉大さを、
おれはわからせてやることは、絶対にできないだろう。
不可能である
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