詩の中の『私』/腰国改修
と書くと、『大丈夫か?自殺なんて考えているんじゃないだろうな』と心配される。これは、いくつかの先入観が重なって、読み手の中で『私』というものが作り上げられたのである。さらに、たとえば『君は世界一の馬鹿だ!』と書いても、まさかそれが自分のことと思わなかったり、自分は利口だと思って全くなんの気にもとめない。これは、作品というものは、よく言われるように、作者の手を離れたら読み手のものであるという例のあれである。まあ、仕方がない。
こんなこともあった。またも友人に詩を見せると『お前は変わっているなあ』としみじみ言われた。確かに私は変わった詩を書いた。その中の『私』を書いた私だと決めつけて話している友
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