アキラというアノマリー/よーかん
トかどうか分かんないような表現でさえ、そこに正真正銘のま正直が存在するならば、自由と平等なんんて、共存しえない抽象的な理想なんてのも、実は、そこだけで存在し得るのかもなぁ、なんて、思わせてしまったのである、そんなウソも言いたくなるほど、欧米人にとって、アキラは目からウロコな存在だったのである、そして、今日、コンニチと読んでもらいたい、今日そのショックの波紋は無限大のフラクタルとなり、その突然変異的な異分子の鮮烈なデビューによって、ありとあらゆる、欧米的表現はすでに、日本的表現が欧米的表現に塗り替えられ変容されたと同等のレベルで、変容するにいたっているのである、その事実が、西洋近代絵画の印象派が実は
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