気の遠くなりかたについて(山茶花オクリ讃2)/渡邉建志
 
のか。=・・・・・・・・・・・・}その二重性は詩の最後まで貫いている。認識と事実が相反している様子は分かる。問題は雪があることが、認識なのか事実なのかということだ。事実だとしたら雪はないと認識しているのだろう。「雪が競る」は自動口述された可能性がある。認識だとしたら既に気が遠くなっている。
{引用=
雪はなにかと労働を促す。路傍の気象予報士がじつに羨ましい
のは、彼の雪にまつわる贅言のすべてが、労働と看做されているからだ。彼は
僕たちが彼の口に何ガロンもの雪を押し込めようとすることにも甘んじるだろ
う。僕たちにはせいぜい数ガロンが限界である。手が赤らみ、いやだなあとい
う顔をして雪を抛
[次のページ]
[グループ]
戻る   Point(2)