死を超えたものだけが本当に語ることが出来るだろう/ホロウ・シカエルボク
 
には眩しいスポット・ライトだって当ててもらえる。流儀や流派や、主義主張で塗り固めようとすれば、枝分かれして先細りになるのが関の山さ、すべてを受け入れて、その時の手段や目的によって好きなものを選択すればいい。言葉の始まりにはどんな決まりさえ存在しなかった。そこからどれだけ時が流れたのか?無数の言葉があり、無数の表現があり、無数のイズムがある。だけどそんなものに縛られたら、生きながら化石になるのが目に見えてる。氷漬けのマンモスみたいに、百万年もすれば価値が出るかもしれないけれど。そこに始まりがあったことを忘れさえしなければ、アート(エンターテイメント?)は何処にだって飛んでいけるだろう。好きな名前で呼
[次のページ]
戻る   Point(0)