死を超えたものだけが本当に語ることが出来るだろう/ホロウ・シカエルボク
いた頑固者もワイルド・サイドの先まで歩いて行ってしまった。犬になりたがってるやつだけがまだ元気に踊り続けている。誰かが鳴らし続ける音だけが音楽と呼ばれるのなら、そこに残されたものだけが音楽と呼ばれるのなら。アートは悲劇のためだけに創造されるのか?それは、万人に値する鎮魂歌であろうとし続ける存在なのだろうか?血を晒し、思考を晒し、傷口を晒し、時にはその痛みに涙を流してさえ見せる、それはナルシズムか?それともリアリズムか―?そんな逡巡が邪魔くさいならすべてエンターテイメントだと呼んでしまえばいい。舞台役者が脚本の通りに激しく涙を流したところで誰もそれを茶番だなんて言いはしないだろう。あまつさえそこには
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