おぼれる/葉leaf
シンフォニック・メタルを車内に流しながら早朝の峠道を走る。車体がカーブを曲がるごとに風景はうねり、木々も道路も正しさを見分けることができなくなっている。現実という熱い海に溺れながら社会的反射神経ばかり鍛えられ、今や私はコインを入れれば缶コーヒーを出すだけの自動販売機と何も変わらない。かつて詩や批評が湯水のようにひらめいていた日々は遠く、私は死者のように暗いまなざししか持たない。事業、結果、業績、評価、そんなものにいったい何の価値があるんだ、という反骨精神も失い、誰よりも会社のために貢献し承認されようとしている。実家へ向かう長い道を運転しながら、ただ一言、運転とは惰性である、と。続けて人生と
[次のページ]
戻る 編 削 Point(2)