批評05/3/9/黒川排除 (oldsoup)
 
広さに関して興味は持てないが、ベンジャミンの『睡蓮』にはそこのところが明確に見えている。この詩には睡蓮で思いつく大概のイメージが与えられているようで、そこに擬人化を施しあなたと呼びつけ睡蓮の持つ味を引き出そうとする努力が見られる。水との対比によってあなたが徐々に浮かび上がっていく様子だ。それで最終行手前に二行行間がある。決め台詞ですよズドプチーン的なものだということが明確だというわけだ。睡蓮とあなたには一定のかかわり合いがあるけれども、それはほとんど語られることがなく、行間に語りを託しているように見えるため、おれはさっきから行間行間ギョーカンと言っているわけだが、それにしては二行も含ませたあげくの
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