批評05/3/9/黒川排除 (oldsoup)
 
いてあろうと六崎杏介の詩ではもっぱら彼自身が相手なのだ。こういった、文字から意味を暴力的に剥奪するような方法は、しかしおれの好きな手段のひとつであるので、おれは多少の親近感を覚えはする。とはいえ最後の逆十字架もどきは言葉遊びが過ぎるが。さてさて親近感というもので詩が読めるわけではないが接近しようか、すまいか、という意思を決定するものにはなりうると思う。題名とか詩の冒頭部分で感覚に訴えるものが、おそらく万人にある。だから親近感を感じない作品はおれはあんまり読まないのだが、みいの『ぬるっこいサンプル』などはまさにその一例だと思う。こんな紹介の仕方かよ。おれなんか死んでしまえ。まぁしかし先程も言ったよう
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