善ということ 詩論として/グロタン
れども同情されることを嫌がる老人は結構います、すると「老人に席を譲るのは悪だ」も成り立ちます。
そこでAは善でありかつAは悪だということを同時に認識します。愛も平和も殺人も戦争も善悪を一方に決めつけない。
この善悪無判別をすべての事柄に適用します。そしてこの無判別のカオス状態に私を重ね合わせます。これを私は純粋善と呼ぶのが良いと思います。
これはAかつノットA=矛盾、全てという全てなので絶対性の保証、私と重ねる=自己同一、つまり西田哲学の「絶対矛盾的自己同一」の善バージョンでしょう。
坂口安吾が「親切には裏切も報酬もない」とかいてますが、つまり親切心で席を譲って逆に怒られ親切心を裏切られた
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