モラトリアム・オルタネイト/由比良 倖
 
いるような感じなんです。何を体験しても、それを仮定の僕が持ち去ってしまう。一人称が指し示すものが表層上は代わったとして、それがある主体に依拠している限り、別に僕が君で私でも、根本的な違いなんてない。だから本当は、僕が生きようが死のうが、どちらでもよくて、僕が知ろうが知るまいが、感動しようが絶望しようが、それは本当にどうだっていいことなのだ。世界にとって僕がどうだとか、世界がどうあるべきだとか、倫理的な面から書けるなんてあり得ない。


いまの私は文章を書くためだけに暫定的に存在する、仮の姿であるのだ、と思う。ことにする。

音楽で心が共有されている感覚は気持ちいい。一人一人に、それぞれ
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