文学極道と国境/天才詩人
 
大陸最果ての島国であると同時に、占領期(1945-1952)のGHQ/SCAPによる情報封鎖や、自らの集合的自画像を世界のなかで打ち立てる努力をすることなく、高度経済成長のなかで消費立国として完成してしまった日本の、江藤淳がいうところの「閉ざされた言語空間」特有の限界でもあるわけです。

これはネットで書くか紙媒体でいくかという対立とは、まったく次元の違う話です。どちらにしても、「日本語」を対象化することなく「詩」を書き続ける限り、自らの発話につきまとう閉塞状況を意識化する可能性はゼロにひとしいと言わざるをえません。ここに解決策はあるのでしょうか。また文学極道が、映像やアニメなどの非言語ジャン
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