朝の詩学/葉leaf
足がめったに入らない山奥の秘境で、圧倒的な巨木が非常に美しい情景を作り出しているかもしれない。だがその自然美は誰にも鑑賞されることなく、ただ膨大に受け取り手のいない美を放出しているのである。そのような自然美は世界中に夥しくあり、朝のこの美しい光の移ろいは、受け取り手のいない過剰な自然美を象徴していないだろうか。
朝、通勤のため駅のホームに立つ。電車はしばらく来ない。すると、覚醒した精神には様々な閃きが去来する。朝、この創造的な時刻に創造的な空白が入り込む。朝とはパブリックな生産の時刻ではない。パブリックには、生産というものは昼行われる。だがプライベートな生産は朝にもっともよく行われる。私的で独
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