朝の詩学/葉leaf
朝はどんな時刻にでも既に始まっている。早朝でも真昼でも真夜中でも、すべての時刻に内包される原時刻として朝は既に始まっている。朝は一日が運動するにあたって、その駆動の弾性を持つ時刻としていつでも参照される。すべての時刻は一度朝に引き返して、朝に強く跳ね返されて次の時刻へと推移していくのである。
私は早朝の暗い時刻に目を覚ますことが多い。朝の闇は夜の闇より長く感じられる。朝の闇は光を待機する闇であり、その待つという特性のため、来たるべき夜明けへの想念が先走っては挫けてを繰り返し、虚構的に持続時間が長引くのである。朝は夥しい虚構を生み出す時刻であり、その虚構の一部は「未来」や「可能性」と呼
[次のページ]
戻る 編 削 Point(2)