田村隆一(その詩行のかっこよさから語る)/岡部淳太郎
 
的に定型なのだ
どんな人生にも頭韻と脚韻がある

(「水」)}

 詩集「緑の思想」の冒頭に置かれたこの短詩にはまだ往年のかっこよさの残り香がある。特に最後の二行には相変らずうならされる。だが、つづく詩集「新年の手紙」では、なだらかな道を這うように詩行がつづられていて、そこにはもはや「四千の日と夜」の面影はない。


朝 西脇順三郎の詩論を読んでいたら
床屋の椅子に坐って反芻している牛の話が出てきた

(「不定形の猫」冒頭二行)


 実在の詩人の名前を出したりして、現実の生活がそのまま詩の中に移行している。ここには既にかっこいい言葉の出て来る場面は用意されていな
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