「われわれは、愛と平等を否定」しうるか?−「障害」と「言葉」の関係を繋ぎなおすための考察/石川和広
 
れは、愛と平等を否定する」というものだった。
立岩の業績を、基本的には私は肯定している。なぜなら、こういう言葉が、知りたいときに知られ、残されていくことに、意義があるからだ。
 彼ら(青い芝の会)は、もちろんいたづらに違いに拘ろうとしたのではない。しかし、語ることは、困難であり、もちろん彼らも批判対象の特定に苦しんだこともあろう。
 これは、しかし、彼らのような特定の人たちに、あてはまる話だろうか?、彼らは、「真の」平等や愛ではなく、葛藤や波乱を含みながらの、愛=他者のわからなさとわかりあいたさ、セクスを、掴みなおしたかったのではなかろうか?
ここから、文学における、伝えるときに現れるコミ
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