「われわれは、愛と平等を否定」しうるか?−「障害」と「言葉」の関係を繋ぎなおすための考察/石川和広
ンスを大切にしようとしてそれをこぼしてしまっている気がするのだ。
今、差別語とされている言葉がある。もちろん、そう機能していたからか、使うことが禁じられた過程もある。
ただし…
かつては、谷崎潤一郎が、トルストイが、中上健次がこだわったように、「はくち」「めくら」「かたわもの」、こういった今では、「障害」と一括されている人や暮らしの言葉の中に、差別とは異なる「差異」さまざまな「営み」や「匂い」があったし、それを残すものとしても文学は機能していたと感じる。
さて、繰り返すと立岩が紹介している、脳性まひ者の運動の言葉で、私に、とても印象を残したのは、「青い芝の会」という団体の「われわれは
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