「われわれは、愛と平等を否定」しうるか?−「障害」と「言葉」の関係を繋ぎなおすための考察/石川和広
 
学といってもいいかもしれない。
案外、介護や、障害は、即物的な面と、構造的な面が生活の意味空間をつくるのだが、わりあい、平凡なようで、劇的なものがある。そこを丹念にたどろうとする研究者としての哲学者文体は、参考にはなっても、生活にとっては退屈なのかも知れず、焦れてしまうのかもしれない。もちろん、メルロ=ポンティの哲学書が、吃音者だった竹内敏晴に与えた感動を考えれば、長い目で見れば、効き目のある議論なのかもしれない。
しかし、学者との対談では、平たい言葉で、話せる立岩が、なぜという思いは消えない。青い芝の会の言葉を私に教えた彼が私には遠く見えるのは、なぜだろう。
彼は、「障害」というニュアンス
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