「われわれは、愛と平等を否定」しうるか?−「障害」と「言葉」の関係を繋ぎなおすための考察/石川和広
がある。その浅さは、まぎれもなく選手を飛び越し、必死の選手を追い込む奇妙な明るさとなっていないか?そして、国旗は、まぎれもなく、所属する国の表示として、他国の人たちには見えるはずだ。その観点を抜かして国旗を流行?衣装?謎だ…
乙武氏は、現代的テクノロジーと自身のがんばり、トレイニングで、かなりの動きが出来る。スポーツも、楽しめることもあるだろう。そして、依然、介助の手は必要である。
子規は、進行性の運動障害になすすべなく、日記と、新聞の切り抜き、病床から見える風景の写生としての俳諧を、絶望の中のユーモアの糧とした。
脳性まひ者は、先天性あるいは後天性、様々なケースがある。しかし、乙武
[次のページ]
戻る 編 削 Point(8)