「われわれは、愛と平等を否定」しうるか?−「障害」と「言葉」の関係を繋ぎなおすための考察/石川和広
 
ざるをえなかった2人がともに残念な結果に終わったことは、はたして偶 然と言えるだろうか。
 “長嶋JAPAN”という、やはり日の丸に近い重圧を背負わされた選手たちが準決勝で敗 れたことも、奇妙な共通性を感じさせる。
  国家を背負ったなかでは活躍できないほど、メンタリティが脆弱化していると嘆くのか。個がいきいきと輝く、新たな時代に突入したのだと歓迎するのか。とらえ方は、もちろん個々の自由である。
  私自身は、後者の輝きとすがすがしさを肯定したい気持ちがある。
だが、「これで勝てなかったら、もう日本へは帰ってこれないというくらいに自分を追いこんで、それを試合で爆発させたい」と挑みながら散っ
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