ネバーランド/ホロウ・シカエルボク
 
エアされているというのは?ときどきこんな出来事に遭遇するたびそんなことを考えてしまう、考えたところでどんな結論も導き出せないことだとは判っているのだけれど…それは存在なのか、それとも存在ではないのか、肉体的な存在ではもちろん無い、でもメディアとしてはスピーカーの向こうで歌っている男がいまはどうしているのかなんて取るに足らないことであり、大事なのはきっとその歌の中にそいつの存在を感じられるようななにかがあるかどうかだ、だからこうして絶対的な不在の中にあっても存在し続けている―人が歌をうたうのはどうしてだ?それはきっと同じことを同じように話すつもりが無いからだ、そんな意図はすべてのものをつまらない話に
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