心理学にフロイト主義なるものがあるのか?フロイト評論?/銀馬車でこい
とにより、「性欲」については、あらゆる類推としてのアナロジーを認めることになり、実に、逆に「性欲」の意味信用を失うことになる。性欲を基本とした自我であるという論理的な帰着を、人間心理及び病理観察において一般化しえたことは、それにおいてのみ評価できるのだろう。心理的な抑圧については、人間が危機に対して抗しうる具体的な対処では決して無い。すでに,観察主眼として用いる精神論的な見方でしかなくなっていたはずである。今現在の人間心理考察においては、「心理的な抑圧」の意味化の発想は、意味をなさないと思わざるを得ない。それよりもなお、「心理的な抑制」と「心理的な解放」の意味の中で,人間は生きていると言えよう。実
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