心理学にフロイト主義なるものがあるのか?フロイト評論?/銀馬車でこい
 
判主義を見据えた、クレッペリン、ラカン、ベルグソンの存在は多いに評価されている。なぜか、それは、論理のみの性欲に関しての思想的な展開が、要領を得なかった可能性は高い。古きに叫ばれた性の解放を進めたのは、フロイトに対しての批判主義の一部だったこともあるだろうが、両著作の「夢分析」「精神分析」を、批判主義の原典とするような性欲中心主義については、反動的であるに過ぎなかっただろう。「夢分析」、「精神分析」に関して登場する人物に関しては、すでに、魂として天国に昇った、敬意を評すべき「すでに亡くなった性欲」でしかないだろう。

第2点、性欲を語ることについては意味があるのか。フロイトは,性欲を知
[次のページ]
戻る   Point(4)