あしたのりんご/たま
い。と言っても、母の痴呆はあしたと、きのうが、入れ変わっただけ。
ひとはいつもあしたを夢見て生きている。そのあしたの夢が叶って、きのうになるとき、ひとはこの世でいちばん幸せなひとときに巡り会うはず。母はもう一度、父に出会いたいのだ。父と生きたきのうが一巡りして、あしたになると信じているのだろうか。娘の夢見るあしたさえ、まだ来ないというのに。
「ねぇ、圭子。あしたは誰かと会ったのかい?」
信号待ちの交差点で母は唐突に言った。
「え……かあさん、知ってたの?」
七十をすぎた母とふたり暮らしだから、娘の歳は言わなくてもわかるはず。そんな私にようやく彼氏と呼べる男ができて、いつか母に打
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