なぜ生活を詩にするのか/葉leaf
ある。留保なしの自由には緊張がない。だが、制約付の自由においては、制約と自由との両方に配慮しながらそれらの厳しい間隙を縫っていくスリルがあるのだ。
だがここで反論が上がるかもしれない。何も人生や生活を題材に取らなくとも、自らの思想やテーマやレトリックによって自由を制約すれば、同じように制約と自由との緊張が生み出され、詩作の深みが増すのではないか、と。確かにそれは正しい。まったくの自由な詩作などあり得ないし、常に何らかの制約項が自由と対立しているはずなのである。だが、ここで挙げられている制約項は、全て詩人の内部にあるものである。つまり、制約は外部からやってくるというよりは既に詩人の内部に宿ってい
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